建築学生の私が留学をした理由【memorandum.について】

今まで、当ブログでは、シンガポールへ留学した時の出来事や、留学のための手続き等についてまとめてきました。漫画などは好評いただいて有り難い限りです…!

ですが最近、このブログの動機についてちゃんと書いていなかったなあ…と思いまして、
この記事では、管理人であるmarineが建築学を専攻することに決めた理由留学をしようと思った理由このブログを始めた理由をつらつら書いていきたいと思います。

建築学科を志望している方や、留学に行きたいと考えている方に対して、何かしらのヒントになれば嬉しいです。

目次

まずは自己紹介

marineと申します!

東京の某設計事務所で設備設計者として働いています。専攻は、建築環境工学・空調分野です。

大学院生時代に、シンガポール国立大学へ自分の専門分野を深めるために交換留学をしていました。

建築学科を志望した理由

建築に興味を持ったのは中学のとき

そもそも建築に興味を持ったのは中学2年生の時でした。
その当時、私は数学や理科などの理系教科と美術を得意にしていました。

ふと将来のことについて考えた時に、どうせなら自分の得意なことを仕事にできれば幸せなのではないかと思いつきました。そこで、理系かつデザインなど美的センスを問われるような職業を考えた時、建築家という職業が合っているのではと考えました。

また、私は散歩をしながら住宅のデザインやを観察したり、生活感を感じたりすることが好きだったので、建築という答えは私にとって腑に落ちるものでした。

このような経緯から、建築家・一級建築士の仕事内容について興味を持ち、本などで調べて行くうちに、名建築などを目にして、さらに強く興味を持つようになりました。

そして、中学・高校と何とか努力を続けることができ、無事に建築学科への入学を果たしたのでした。途中、高校物理で躓いたり色々あって、正直諦めそうになった時もありましたが、何とかなってよかったです。大学入試までは、純粋に学力で評価されるので、努力は裏切りませんでした。

建築学科に入学 初めは設計の授業がとにかく楽しかった

建築設計の授業で作成した集合住宅の図面と模型写真。
今見ると手直しするところがいっぱいある…。

晴れて建築学を学ぶことができるようになったので、学部時代の勉強は正直全然苦になりませんでした。

特に、学部1、2年の時はとにかく建築設計の授業が楽しかったです。
毎月はじめに「美術館」「カフェ」などのお題が提示され、それに沿ってコンセプトをたて、デザインをします。
デザインをアウトプットするためにスケッチや簡単な模型製作、図面製作をして、毎週のエスキスで先生に見せてコメントをもらいながら、自分の建築を形作っていきます。

元来、絵を書くことや創作をすることが好きでしたので、この作業はとても性に合っていました。期限までに自分の納得するクオリティの物を作成するために、夜遅くまで作業することもありましたが、楽しかったので、授業に積極的に参加していました。

設計以外の座学の授業も興味深かったので、サボらず受けていました。
また、当時、4年生の先輩から、GPA(大学の成績)が低いと3年生の時に希望の研究室に入れなくなってしまうかも知れないという話を聞いていたので、真面目に授業に参加していました。

学部3年の時に建築環境工学に興味を持つ

実験の様子。ビルに対して風の動きがどのようになるのかを可視化している。

このように、学部2年生の時までは、どちらかというと建築意匠(デザイン)に興味を持っていましたが、学部3年生の時から、現在専攻している建築環境工学に興味を持つようになりました。

建築環境工学とは、建築内外の環境を適正に保つための学問です。室内の温湿度を適正に制御する、室内にいる利用者が快適に感じられるようにする、建物の省エネルギー性能を高めるなど様々な観点から建築環境について考えます。

私が興味を持つきっかけになったのは、3年生の時に受けた建築環境工学の授業です。その授業では、建築環境工学に関連した実験を実際に自分たちで行って、分析し、レポートを作成しました。

やはり、自分の手で実際にやってみるという経験は強く印象に残るようです。自分で計測して得たデータが建築内部の環境を明らかにすることができたり、環境改善のための提案の根拠になり得ることを実感しました。

また、室内環境を良く設計することは、その中で暮らす人やその建物を利用する人たちの健康や快適感を担保することに繋がることを学びました。

留学をしようと思った理由

この項からは、建築を専攻し、理系であるにも関わらず、留学をしようと思った理由についてまとめたいと思います。

外国語はできた方が良いと何となく感じていた

高校生の時から、国際化の進む世の中を鑑みて、何となく外国語はできた方がこの先職に困らないのではないかと考えていました。
建築関係の職についたとしても、海外への出張や赴任もあり得るだろうし、日本に居たとしても海外の人と話す機会は絶対にあるだろうと思っていました。

それに、漠然と知らない世界を見てみたいという好奇心があったので、その手段となる外国語を勉強したいという気持ちを強く持っていました。

また、両親も外国語を積極的に学ぶことに対して賛成でした。なので、国公立の大学に入学することが出来たら、大学4年間は英会話教室に通って良いし、留学も行って良いという約束をしていました。

無事に国公立の大学に入学したので、約束どおり、週に1〜2回英会話教室に通い、オーストラリアへ留学するための費用を持ってもらいました。

学部2年の時にオーストラリアに1ヶ月の短期留学へ

シドニーのオペラハウス

学部2年生の夏休みを利用して、オーストラリアへ1ヶ月の語学留学へ行きました。後から考えると、この時の経験がシンガポールへの長期留学へ繋がっているのだと思います。

私にとっては、この留学が初めての留学でした。この留学は大学が主催しているものなので、ビザ発行などの事務手続きを全て大学が行い、留学先大学でのカリキュラムも予め決められていました。ですので、自分でやることは英語の勉強くらいなので、安心して留学できました。

留学先はシドニーマッコーリー大学でした。毎日午前中に英会話の授業を受け、午後は現地の友達と遊んだりしていました。もちろん土日は全休なので、シドニーの観光地を巡っていました。

滞在先は、予め決められたホストファミリーのもとにホームステイをしていました。
なので、朝起きてから夜寝るまでほとんど全部英語で会話をする必要があります。それに最初はホストに対してすごい気を遣いますし、とても疲れました。毎晩9時くらいに寝ないと持たないくらいでした。日本では12時に寝ていたのに…。

授業は午前中しかないし、今みたいに研究成果などが問われる訳ではないので、非常に気が楽でしたが、貴重な経験となりました。自分が話した英語が実際に現地の人に通じて感動したり、文化の違いに驚いたり、海外の友達ができたり、実際に留学しないと得られないものをたくさん経験することができました。

正直、今回の留学だけだと英語を完璧に話せるようになったとは言えなかったので、機会があれば、また海外へ留学し、もっと英語を磨いて、国際感覚を養いたいと思いました。

研究室決めの際に再度留学するチャンスを掴む

そして、学部3年生の冬、自分の所属する研究室を決める時期がやってきました。

前述したように、建築学の中でも、環境工学に興味を持っていたので、それを学ぶことができる研究室を志望していました。環境工学の研究室はいくつかあり、私はそれらを中心に研究室説明会に出席し、どの研究室に決めるか検討していました。

現在所属している研究室の研究室紹介イベントに出席した時、教授と1対1で話をする機会がありました。この当時、正直、この研究室への志望度は2番目くらいでした。

教授は、私がオーストラリアへ留学していたことを知ると、「この研究室はシンガポール国立大学と交換留学を行なっているから、希望すれば奨学金を受け取りながらシンガポールで研究をすることができる」と言いました。
私は、その言葉を聞いて飛びつきました。教授に、「ぜひシンガポールへ留学したい」とその場で伝えました。

この時、この研究室は定員以上に希望者がいたのですが、そこは今まで努力して上げたGPAの力と留学経験で無事に通過しました。

そして、かなり棚ぼたな感じでシンガポール国立大学への留学の機会を得たのでした。超ラッキーだと思います。

研究室の調査で海外へ頻繁に行くようになる

香港の実測対象ビルからみた風景

研究室では、東南アジアを研究対象にしていました。なので、研究室に所属してから、シンガポール香港台湾バンコクへ何回も調査に行く機会がありました。

調査では、東南アジア各国のオフィスビルの室内環境(温湿度、照度など)を測定したり、オフィスにいる人たちにアンケートをお願いするなどの作業を行なっていました。

当然、オフィスにいる人たちや、協力者たちには、英語しか通じないので、英語で依頼をしたり、自分たちの実測する内容を説明する必要がありました。

初めのうちは、全て先輩がやってくれましたが、実測を何回か経験するうちに、自分で行うようになりました。今までは英語を勉強することが目的でしたが、ここでは英語を意思疎通の手段として、実測を行うという目的として行動する必要があります。

この経験は、社会人になってから英語を話す時の良い予行練習になったと考えています。

シンガポール国立大学へ

学部4年生の1年間は、実測で経験を積みながら、卒業論文を作成し、無事に大学を卒業しました。そして、院試にも推薦で無事に合格したので(ここでもGPAの力は大きかったです)、そのまま今の研究室で研究を続けられることになりました。

修士1年生の時は、教授や大学の事務の人たちと何回も話し合いを行いながら、留学のための準備を行いました。留学準備は、オーストラリア留学の時とは対照的に、全て自分で行なったので、かなり苦労しました。その具体的な内容は【渡航前の手続き編】で示す通りです。

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そして、満を辞してシンガポール国立大学へ留学したのでした。

memorandum.をはじめた理由

シンガポール国立大学の留学準備が大変だったから

memorandum.をはじめた一番の理由は、前述したシンガポール国立大学への留学準備が、予想以上に大変だと感じたからです。

特に学生ビザの取得方法が、本当に訳分かりませんでした…。

「今後、私と同じようにシンガポール国立大学に行きたいと思う人はたくさんいるだろうし、そんなやる気のある人たちに、私と同じような無駄に大変な思いはして欲しくない!!」と思い、ビザ取得に関する記事を発信することにしました。

留学準備のみならず、他にも役立てることがありそう

留学準備に関する記事が書き終わったころ、烏滸がましくもそんなことを考えるようになりました。

「こう見えてもきちんと公立の建築学科を卒業したし、修士課程では論文もいっぱい書いたし、プログラミングやシミュレーションの勉強もいっぱいしたなあ…。
留学準備のみならず、今まで学んできたことを共有したら、今後同じようなことを学びたい人に対して助けになれるかもしれない…。」

実際助けになれるかどうかは謎ですが、やらないよりはやった方が良いのでは精神で、当ブログでは、留学以外にも、就職活動のことや建築学のことについても取り扱うようになりました。

まとめ

長くなりましたが、建築学科を志望した理由留学に行った理由このブログをはじめた理由をまとめてみました。

かなり運よくここまで来ることができたなあと自分で書いていて思いました。

ですが、この運を引き寄せることが出来たのは、自分がやりたいことを割といつもはっきりさせていたことそのためにちまちま努力を続けていたことがあると思います。

これからも、出来るだけ役立ちそうな情報を自身の経験から引っ張り出してきては記事にしたいと考えております。

ここまで読んでくださりありがとうございました!

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この記事を書いた人

このサイトの管理人。
建物の設備設計者として働く。
絵を描くことと、旅行が好き。
シンガポール国立大学への留学経験や
建築学生の就職活動などを
ゆるく紹介している。

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